UP 2011.10.22 ISH
シニア自然大学環境科2012年10月度野外活動
河内長野市高野街道散策
◇日時:2012.10.19(金) 10:00〜15:00
◇天気:晴れ
◇集合:河内長野駅 10時
◇行先:河内長野駅〜高野街道〜烏帽子山〜花の文化園〜上田宿、三日市宿〜三日市駅
◇参加者:環境科 38名
高野街道とは、広義には京都や大阪方面から高野山へ通じる街道を総じて指し、狭義には河内国錦部郡長野村(河内長野市)と高野山を結ぶ街道とあります。
よって河内長野の地は、東高野街道{起点:山城国八幡(京都府八幡市)}・中高野街道{起点:摂津国平野郷町(大阪市平野区)}・下高野街道{起点:摂津国天王寺村(大阪市天王寺区)}・西高野街道{起点:和泉国堺(堺市堺区)}の4街道が合流する所であり、大阪から徒歩一日行程の“三日市宿”を控えて過去に賑わっていた歴史ある地域です。

烏帽子形城址より河内長野市内、富田林市方向(この城が築城された意味が分るような眺望)

花の文化園入口(植木鉢を組み合わせて作ったテラコッタの家元奥河内カズちゃんのお出迎え)



河内長野の歴史について、翌日から開催される地元の“高野祭り”の準備にお忙しいにも拘らず、3人の “かわちながの観光ボランティアガイド倶楽部”の方々に案内を戴きました。


河内長野駅前に集合しボランティアガイドさんと朝の挨拶

高野街道の説明を受け出発

流れが速い石川(旧西條橋より)
まずは河内長野駅から西に向かい“烏帽子形城跡”を目指します。実に巨大な“吉年邸のくすのき”を左手に見ながら、昔は水量も多く酒や木材を運んだという“石川”を渡ります。別久坂(通称:びっくり坂)を上ると“大日寺”。この地が、かつて天正年間に南河内におけるキリシタンの拠点であったことを示す変わった地蔵尊(ヤソ地蔵)が残っていました。街道には“右こうや”と彫られた古い道標が見られ、古くからの民間信仰の重さを感じさせます。天気もよく、緑と黄色が素敵な散歩道でもあります。

天野酒の旧店舗

お地蔵さん(ヤソ地蔵)の説明

古い道標
間もなく“烏帽子八幡神社”となり、裏山を登ると“烏帽子形城跡”に到着します。我々はすぐに“楠 正成”と結び付けたくなります。でもインターネットで調べて出てきた“楠七城の一つ烏帽子形城跡”のフレーズについては、歴史資料が存在しないという理由で教育委員会から説明を禁じられているとのことです。ただ山肌にはあちこちに中世の山城特有の素朴な土塁・空堀等の遺構が見て取れ、大阪城的な城郭形態しか実物を見たことのない私には感動ものでした。あと高野街道がここだけ“烏帽子形城跡”側に不自然に湾曲しているのは昔ここに権力機構が存在していたのが原因かな?と考えながらあるいていました。

烏帽子形八幡神社の石段を登る(1480年建立)

烏帽子形城跡と烏帽形古墳を目指して登山

烏帽子形城は何度か城主が変わり今の姿になったといわれる
14世紀(南北朝時代)〜17世紀初頭(戦国時代)の約300年間に全国で3〜40,000カ所もの城が構えられた。この城も土木施設(土塁、曲輪、堀切、虎口、切岸、横掘)としての普請は完全な形で残されている。
あとはしばらく高野街道から外れて“大阪府立 花の文化園”に向かいます。ここは植物大好き人間にはこたえられない所で、皆さんカメラを手に静かに花々と対話しておられました。
台風が心配されたが、快晴の天気となり、日陰でも、日向でも良い青空の下での昼食をとった
大阪府立フルルガーデン花の文化園は四季折々の草花が植えられ、今日はケイトウ展が開催され、大温室ではカトレア、洋ラン類や熱帯植物が華やかな花の色を競って咲いていた


昼食後お気に入りのコースの園内散策を楽しんだ

メタセコイアの雄花序が垂れ下がっていた

セイタカアワダチソウの黄金色の絨毯の寄ヶ峠を通り抜け

最後はバックして街道に戻り、終点の三日市宿に向かいます。幕末の“天誅組”もここ三日市宿の“油屋”で休憩し、同じ街道を通って五条の代官所襲撃に向かったと聞かされると、昔の人が非常に身近なものとして感じさせられました。

三日市宿高札場跡

旧三日市交番

三日市宿八木家住宅(登録有形文化財)

三日市真教寺境内のサクラの木

三日市駅前広場で解散
秋晴れの下で河内長野市高野街道を約6kmの散策と高低差90m弱の登山だった。歴史と自然を満喫した気持ちの良い一日となった。
“かわちながの観光ボランティアガイド倶楽部”の方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。


文/須崎、写真/荘司、北仲、編集/石井
企画、世話役:小林

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