2014年1月度環境科野外活動                                                          
                                                                                    UP 2014.01.16 ISH

 清荒神さんへの初詣と鉄斎美術館見学・小浜宿散策
■日時     2014年(H26) 1月10日(金) 9時45分  天気  晴
■集合場所 清荒神駅(阪急宝塚線)
■行先    鉄斎美術館、清荒神清澄寺、小浜宿
■参加者   環境科36名
この冬一番の冷え込みとの予報の朝 お正月の雰囲気が残る参道の様子を楽しみながら 鉄斎美術館に向かう。

鉄斎美術館


(入場券をコピー)

清荒神清澄寺の第37世光浄和上が 鉄斎の作品約1200点蒐集。第38世光聰和上が1975年(S50) 美術館を開館。

富岡鉄斎(1836年〜1924)
近代文人画の巨匠。絵画はほとんど独学で 何物にもとらわれない独自の世界を表現。
催しは「鉄斎―扇絵を楽しむ」。  新春にふさわしい扇絵が約70点展示。
湾曲する扇形を活かした構成と筆づかいは鉄斎ならでは。扇面画の達人ともいわれている。鉄斎の書画は若い頃より80代後半の方が筆づかいに  も勢いがあり自由闊達。
私達シニア世代の人生もこれからが本番!かも。


鉄斎美術館玄関(北仲さん撮影)

鉄斎美術館(加藤さん撮影)


清荒神清澄寺

平安時代の初め 宇多天皇の勅願時の一つとして創建。
清澄寺の御本尊大日如来の守護神として三宝荒神が祀られているので神社とが寺が同じ境内にある。 火の神様、かまどの神様として崇められ、お正月三が日だけでなく 年中参拝者で賑わっている。また境内には天然記念物のイチョウの大樹が2本あり 秋には黄色い絨毯を敷きつめたようになる。
清澄寺と一願地蔵尊(右)
地蔵尊の頭上まで水をかけて 一つ願い事を念ずればご利益があるとされている。さて貴方の願いは?


小浜宿散策

 小浜宿は大堀川と池 土塁に囲まれた城塞的な地形にあり 町割りは入り組んでいることなどから 防衛的な意図があったと思われる。
また旧街道(京伏見・西宮・有馬)の要衝として 毫摂寺の寺内町 宿場町 酒造 大工の町として栄え その町並みは長らく受け継がれてきました(S62年 ひょうご住宅百選に認定)。しかしながら阪神淡路大震災で多大な被害を受け 町の様子は変わってしまいました。
○ 宝塚市立歴史民俗資料館 旧和田家
18世紀初期に建てられた宝塚最古の民家でしたが 阪神淡路大震災で半壊。市が譲り受け復元工事を行い 平成11年歴史民俗資料館としてオープン。
代々米谷村の庄屋を務めていたことから 多くの古文書が残されていた。


○制札 (幕府の御定書を書いた高札)
かつての代官跡(現・小浜会館)に忠孝札・火付札・駄賃定札など(いずれも複製品)の制札7枚が立てられている。6枚は正徳元年(1711)のもの。実物は資料館に。
○「小濱宿」の標識 ____
小浜宿に入るには 北門 南門 東門のいずれかを通らねばならず そこには愛宕宮が置かれている。
○毫摂寺(ごうしょうじ)
寺内町である小浜の核となった重要な寺。「小浜御坊」と呼ばれ秀吉・秀次が有馬に出かけた折はここを宿泊所とした。利休がお茶を点てたといわれる玉の井戸や 修理中のため本堂の全容が見られなかったのは残念。

○首地蔵
地蔵安置に諸説あり 確かなことは不明ですが「首から上の病気を治してもらえる」と各地かお参りにやってくる。左は昭和の首地蔵 高さは約120aある。

○谷風岩五郎
江戸時代終り小浜に生まれ 明治9年大関に昇進した時 四股名を若の柳安太郎改め谷風岩五郎とした。


○皇太神社・(戎神社・蛭子神社)
この日は「小浜えびす」の日。近隣の人たちが次々に訪れ商売繁盛を祈っていた。


小濱皇太神社

竹を使った手水所(竹製の工夫された柄杓)

ムクノキの大木

集合から解散まで約15,000歩の散策でした。今日の初詣のご利益で本年の安全、健康、開運をお祈りいたします。





                                                          文/三戸、写真/北仲、加藤、石井
                                                 企画/加藤、三戸  
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