UP 2015.9.28 kita
旧閑谷学校の見学と牛窓オリーブ園を散策



旧閑谷学校講堂(国宝)

 9月の野外活動は岡山・備前の国で日本最古の庶民の学校・旧閑谷学校の見学と日本のエーゲ海を望む牛窓オリーブ園の散策でした。

旧閑谷学校

 旧閑谷学校は、読み書き・計算の庶民教育が寺子屋でされていた江戸期、地方のリーダーを育てる学校として、岡山藩主・池田光政の命により創建(1670年)されたとのことです。
国宝の講堂を初め、聖廟や閑谷神社などのほとんどの建造物が国の重要文化財に指定されており、備前焼瓦を代表とする壮麗な建物は見事でした。三百余年前の木造建築でありながら朽ちることなく今なお艶やかさをたもっているのは、備前焼の屋根で覆われているためばかりでなく、今日まで怠りなく手入れされてきたからだろうとその努力に感心しました。
教えの基本とした儒学にちなんで100年前、中国の孔子林の種から育てたとされる一対の楷の木は、残念ながら紅葉・黄葉を待たずに落葉が始まっていました。また、校地を取り巻くかまぼこ型に組まれた石塀は独特の景観を演出していました。
火災時の延焼を防ぐ火除山を隔てて明治末期に建てられた閑谷学校では、廃藩置県により閉校になるも学燈は昭和期まで灯し続けられたとのこと。今は資料館としてその歴史の資料が展示されておりました。

旧閑谷学校の概要説明

説明に聞き入る面々

聖廟前の楷の木

石塀の遊歩道

怠りなく手入れされた講堂

講堂の内部

             集合写真


旧閑谷学校公門前で

牛窓オリーブ園

 牛窓は江戸時代に朝鮮通信使の寄港地として栄えた所で、第二次世界大戦中に服部和一郎が「オリーブは栄養も良く、薬用にもなり、灯火にもなり、 自然を守る」と提唱して牛窓の丘陵地にオリーブ畑を創り今に至っているとのこと。
訪れた頃には青空が覗き始めて頂上の展望広場から見下ろすと小豆島をはじめ瀬戸内海の島々と静かな青い海のコントラストが見事に調和して 「日本のエーゲ海」といわれるような自然環境が堪能できた。 ただオリーブは収穫期を控えていたが実が今年の異常気象でかなり落下したようで緑のオリーブの樹木だけが景観を保っていた。

牛窓オリーブ園の説明を受ける

オリーブパレスからの景観図

牛窓オリーブ園

牛窓展望台から小豆島を望む

日本のエーゲ海・牛窓オリーブ園から

 日本遺産ならぬ“世界遺産”への登録がいつか叶うことを願って解散となりました。