UP 2016.3.25 HRY
シニア自然大学校環境科 2016年3月野外活動
尼崎 キャナルウォーク
-森と水と人の共生する尼崎市臨海部を訪ねる-
■日時:平成28年3月18日(金) 10:00〜15:00 天気 曇
■集合:9:50 阪神 尼崎センタープール前駅
■行先:尼崎市 臨海部
■目的:尼崎市臨海部の環境を学ぶ
■案内:尼崎キャナルガイドの会
■参加者:環境科34名

≪尼崎運河のシンボル であい橋≫
かつて公害都市であった尼崎市は今や21世紀環境モデル都市に生まれ変わりました。尼崎キャナルガイドの会の案内で臨海部の運河を歩き、臨海工業地帯の変遷の歴史、ゼロメートル地帯の防災機能、尼崎21世紀の森等を見学、森と水と人の共生する環境創造のまちづくりについて学びました。
行 程
10:00 尼崎センタープール前駅発
     阪神野菜栽培所/阪神保存車両見学

10:10 道意神社(神社の由来・歴史)

10:25 元浜緑地「臨海部の公害について」

11:10 キャナルベース・水質浄化施設「水質浄化活動について」

11:30 昼食(弁当、またはレストランRあん:名物尼崎ちゃんぽん)

12:30 キャナルベース発 であい橋・中堀運河 「運河の歴史・防災について」

13:20 尼崎閘門(尼ロック)「運河の役割」

14:10 尼崎の森中央緑地「21世紀の森について」

14:55 尼崎の森中央緑地発 阪神バス「阪神電車出屋敷駅行」
ルートマップ (歩行6km)
尼崎市の由来・歴史
 尼崎地名の由来は漁民を意味するアマ(海士)と先端を意味するサキ(崎)を結合したものではないかといわれています。縄文時代には現在の阪急沿線ぐらいしか土地はなく、以南は海であった。その後大阪湾の潮流や武庫川、猪名川の運ぶ土砂が堆積し尼崎平野が形成された。中世の文献に「海士崎」などと記載されていることからもうかがうことができます。中世には、瀬戸内海を通して西国から都へ輸送されるさまざまな物資を中継する港町として発展する。近世に入ると、政治・経済・軍事などあらゆる面で、大坂が幕府の西国支配の最重要拠点となり、その西に位置する尼崎は、軍事上、大坂の西を守る要の地として、幕府から重視されることになる。大坂の陣ののち、元和3年(1617)に譜代大名の戸田氏鉄を尼崎に配置し、新たに四層の天守を持つ本格的な近世城郭を築城させる。明治維新を経て尼崎地域の工業化が急速に進み、やがて阪神工業地帯の中核を担う重化学工業都市へと成長していきます。昭和になり、戦争の勃発・終戦という過程をたどり、廃墟となった町も再び工業化が進展する。しかし工場のばい煙による大気汚染、廃水による河川の汚濁、騒音、振動、地下水のくみ上げによる地盤沈下等公害の町の汚名を着ることになる。石油ショックを経て昭和50年以降、企業や行政の努力により公害は減少、青い空が戻ってくる。平成28年、市制100周年を迎える尼崎は公害都市から環境モデル都市へと大きく変身、今「尼崎21世紀の森構想」という壮大な計画に取り組んでいます。
「元浜緑地へ」
 環境科員34名が尼崎センタープール前駅に集合、尼崎キャナルガイドの会7名の皆さんに迎えられる。このところの行事の参加者が減少、天気が危ぶまれたにもかかわらず、今日は多くの方の参加を得て、世話役としてはうれしい限り。皆さん、尼崎市の環境に関心が深いんだと勝手に思う。Sガイドさんの案内でキャナルベースへと向かう。道すがら、阪神電車高架下にある阪神野菜栽培所に立ち寄る。主にレタスを栽培し販売しているというが中には入れず。隣は阪神電車の原型車両が展示してあるが研修用でこちらも立入禁止です。

尼崎センタープール前駅からスタート

阪神野菜栽培所

阪神電車の原型車両を保存
 道意(どい)神社境内に入る。聞きなれない名前は大阪海老江の道意翁(どいおう)が当地を開拓し、明暦元年(1655)海老江村の牛頭天皇社を勧請したことに由来する。現在のご祭神は素戔嗚命でこの辺りは素戔嗚命が多いという。
遊歩道となっている祇園橋緑地を南下していて行くと元浜緑地である。全国で初めて”大気汚染対策緑地”として整備された公園で神戸製鋼跡地跡に造られたとのこと。大きな広場とアスレチック遊具のある東エリアと、子どもに大人気のわんぱく池やもみじ池などの西エリアに分かれています。園内には市の木「ハナミズキ」はじめ河津桜、冬に咲くヒマラヤサクラ、アジサイ、スイレンなどの花木や野鳥も多く、環境学習や市民の憩いの場所となっている。1周約1kmはウォーキングに最適とのこと。たまたま居合わせた公園協会の方から公園の生き物などについて詳しくお話を聞くことができました。尼崎市は世界平和都市都市として、国連本部のほか全国に5か所だけの世界平和の鐘つき堂もありました。

道意(どい)神社

祇園橋緑地を歩く

元浜緑地は全国初の大気汚染対策公園

もみじ池で

公園協会の方から説明を受ける

サンシウユ
「北堀キャナルベースと水質浄化施設」
 再び祇園橋緑地を歩き、北堀キャナルベースに向かいます。尼崎運河のシンボル「であい橋」の姿が目に入ってきます。キャナルベースは北堀運河に面する多目的施設で水質浄化や町づくりイベントの会場となっています。水質浄化施設は生物の生態系を利用して運河の水質を浄化する機能を持った世界初のテストプラントで、徳島大学を中心に研究実験が行われています。水の中の濁り(プランクトン)を食べる”コウロエンカワヒバリガイ”という2枚貝と藻、干潟の生物の力を利用しています。

北堀キャナルベースで水質浄化施設の説明

水質浄化施設

水質浄化施設の構造(尼崎市WEBページより転載)
@取水ピット(表層水と低層水)
A懸濁物除去・曝気水槽(コウロエンカワヒバリガイ)
B栄養塩回収水路(藻)
C護岸付帯式浅場(干潟の生物)

―昼食―

キャナルベースで昼食タイムをとる。弁当は持参したが話題の”尼崎チャンポン”を食べたくてこのあたり唯一の中華レストラン「Rあん」へ出かける。さすがトラックの運転手が集まるところとあって、そのボリュームに圧倒される。セットメニューはシニアの身にはカロリーオーバーだ。具たっぷりのあんかけチャンポン単品で満足する。

名物尼崎あんかけチャンポン
「であい橋」
 午後からは女性ガイドさんに交代。であい橋から運河を巡ります。であい橋は北堀運河と中堀運河が合流する地点に架けられた斜張橋。1997年(平成9年)、遊歩道の整備に併せて約2億円?をかけて完成した。橋の中心に主塔があり、桁は三方に分かれている。主塔は昭和時代、付近にあった関西熱化学工業のガスタンクをイメージしたモニュメントを兼ねており、尼崎閘門と並ぶ運河のシンボルとなっている。橋の名称の由来は「三つの町を繋ぐ橋」「北堀運河と中堀運河が出会うところに架かる橋」等複数あるとのことです。

であい橋で

りんりんロードとであい橋
「尼崎運河」
 尼崎運河は尼崎市の南部、臨海地域のゼロメートル地帯に位置します。昭和初期までは、新田の間を流れる水路を運河の代わりとして利用していたが、1934年(昭和9年)に運河の造成計画が決定。1942年(昭和17年)頃に、ほぼ現在の形に整備された。「尼崎運河域」と呼ばれるその範囲は、概ね国道43号から南側の中島川と武庫川に挟まれた、尼崎港を中心とする阪神工業地帯の核としても知られています。 北堀・中堀・東堀・西堀・南堀の5つの運河の長さは6.9km、幅は30〜40m、水深は2〜6mで、3つの河川(蓬川、庄下川、旧左門殿川)を合わせると運河域の全延長は12.4qになります。
 観光化している運河が多い中で、尼崎運河は現在でも船舶が航行する生きた運河です。臨海に立地する工場群へ物資を運搬する貨物船は、主に鋼材、完成自動車、セメント、砂利・砂、石油製品、化学薬品、金属くず、再利用資材、廃土砂等を運搬しており、運河沿いには荷物を積み降ろすために岸壁に設置されたクレーンを見ることができます。運河には防災機能として防潮堤や水門、閘門のほか、「遊水池機能」が備わっており、台風等で大雨が予測される場合、前もってポンプや干潮を利用して運河内の水位を下げておき、上流の河川から流れてくる水を一定量運河内にためることができます。

工場の地下水汲み上げによる「地盤沈下」で、”東京湾平均海面T.P.+0.8m以下”が広がり、16ku以上、

市域の約3分の1が「ゼロメートル地帯」。(尼崎市WEBページより)
「運河を巡る」
 であい橋から中堀運河を下る。運河に沿っての木道はりんりんロードという自転車道。水質の改善が進んだであろうか、カモの群れが泳いでいる。左岸に日新製鋼の荷揚げ場が運河にせり出している。右岸は日本油脂の工場群である。やがて南堀運河と合流する。この辺りは昭和年代は煤煙でレコード盤も使えず、洗濯物も干せない状態であったとガイドさんの説明です。

中堀運河、日新製鋼の荷揚げ場

中堀運河と南堀運河の合流点(赤い橋は末広大橋)

南堀運河を歩く(正面は旧パナソニックPPD工場)

阪神工業地帯昭和30年代の絵はがき
(地域研究史料館絵はがきデータベースより)

荒廃した遊歩道ベンチから中堀運河を見る

尼ロックへ続く遊歩道(南掘運河右岸) 右に防潮堤が続く
「尼崎閘門(尼ロック)」
 南堀運河に沿って造られた遊歩道を歩く。4段となった広い歩道はところどころに展望ベンチがありますが人っ子ひとりいません。ベンチは荒れたままです。尼崎閘門(愛称尼ロック)に到着する。尼崎閘門は水位の高い海側と水位の低い運河をつなぐ水路です。昭和29年(1954年)に建築され、平成6年(1994年)第2閘門、平成14年(2002年)に第1閘門がそれぞれ造りかえられる。レオナルドダビンチの考案とされるパナマ運河方式(両開き)が使われており、閘門の大きさは日本一。長さ90m、幅17m、前扉の高さT. P. +5. 7m、前扉の重さ260t、通航可能な船の大きさ500総トンまで、両閘門は一方通行となっています。閘門は船の通航機能と併せて遊水地としての防災機能を持っています。閘門の全貌を見ることはできませんが、集中コントロールセンターで24時間操作・監視されています。折しも第2閘門を船が通過中で、海水面レベルにあった水位は運河側の水門が開くと30cmほど下がりました。

尼崎閘門(尼ロック)の説明

第2閘門海側水門(マウスをのせると水位が下がります)

海側からみた尼崎閘門
「尼崎の森・中央緑地」
 最後の行程はあと1km、尼崎の森・中央緑地に向かいます。沿道には看板を塗りつぶした旧パナソニックPPD工場が一際大きくそびえています。阪神高速湾岸線の彼方に裸地が見えてきました。ここら辺りは神戸製鋼の工場跡地とのこと。クヌギ等の幼木に囲まれたパークセンター(公園管理事務所)に入りました。ここは「尼崎21世紀の森づくり」の拠点となっています。「森と水と人が共生する環境創造のまち」をテーマに、尼崎臨海地域の自然を蘇らせようという「尼崎21世紀の森構想」が平成14年にスタートしました。湾岸に20万本の樹を植え、白砂青松の海を蘇らせる。これらは六甲山麓の樹木を、種から育てるという日本で最初の取り組みです。遥か彼方に植樹の森を見ることができましたが、100年はかかりそうです。
 天気予報どおり、雨がポツリ、ポツリと落ちてきました。ガイドさんにはまだまだお話したいことがあったようで申し訳ありませんでしたがお天気には勝てません。この後のスポーツの森見学を中止、予定を切り上げて散会としました。

阪神高速湾岸線の彼方に中央緑地(神戸製鋼の跡地)

中央緑地パークセンター

白砂青松の海を蘇らせよう

21世紀の森づくりは100年計画 彼方に植樹の森が見える
おわりに
 環境モデル都市尼崎の一端を垣間見ただけのツアーでしたが、かつての公害都市が何故環境モデル都市に生まれかわったのか理解できたでしょうか。ガイドさんのお話から総合すると、次の4つの取り組みが功を奏したと言えるようです。

1.時代の流れ(オイルショック、重工業から軽工業へ、船舶から陸上輸送へ)
2.行政の環境への取り組み
3.企業の努力
4.市民の意識変革(公害訴訟など)

尼崎市は確かに生まれ変わりました。現役時代は尼崎市にお世話になった身でありますが、公害都市のイメージがついて回りました。今回のツアーを通じて、尼崎から公害のイメージを払しょく、環境都市に変身した尼崎の姿を是非皆さんに知ってもらいたいとの思いを強く感じました。尼崎21世紀の森構想の結果を見るのは子・孫の世代になるでしょうが、白砂青松の海と緑の尼崎が生まれることを期待します。尼崎市並びに尼崎キャナルガイドの会の皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。(了)

≪であい橋を背景に≫
本文作成にあたり下記のページを参照させていただきました。
 ・尼崎市ホームページ
 ・尼崎運河に行こうface book尼崎運河に行こうガイドブック
 ・尼崎キャナルガイドの会ホームページ
文/平山、写真/大野・平山
企画/3班 平山、加藤

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