UP 2016.7.17 kita
開港150年の神戸港と旧居留地散策

行 程

10時00分 JR元町駅出発
三宮神社
旧居留地38番館(旧シティバンク神戸支店、現大丸別館)、明石町の街並
鯉川筋ブラジル国花イペの木
神戸郵船ビル
戦没した船と海員の資料館
11時00分 神戸海洋博物館・カワサキワールド(入館前集合写真)説明10分後自由見学
12時30分 各自昼食を済まして海洋博物館前に30分遅れで集合・出発13時00分出発
商船三井ビル、海岸ビル(三井物産)、神港ビル(川崎汽船)旧居留地15番館
(2代目旧アメリカ総領事館)京町街並
13時20分 日本銀行神戸支店 13時30分見学開始70分間
15時00分 東遊園地を経て神戸市役所24階展望台
15時30分 現地解散

活動の目的

 神戸港は、自然条件に優れた天然の良港として、古代・中世より大陸や朝鮮半島との交易拠点として賑い、1868(慶応3)年の開港以来、日本を代表する国際貿易港として、海洋大国の我が国の国民生活や産業基盤を支えている。地理的に日本列島のほぼ中心に位置し、世界各地の港と結ばれている。
 また、瀬戸内を中心とした西日本の各港とも充実した内航航路網で結ばれている。さらに、市民に親しまれる港として、豪華クルーズ客船の誘致やウォーターフロントの整備により賑わっている。
 神戸港は太平洋戦争による戦災、阪神淡路大震災により壊滅的な被害をうけた。しかし 戦後71年、震災後22年を経過し、神戸の街は、問題を残しながらも見事に復興した。
 寒村であった神戸が、都市繁栄のスタートだった「神戸港開港150周年」を迎えた今、外国人によって設計された都市計画の景観遺産から、都市の歴史と文化を感じ、都市環境の変遷を考える。

① 三宮神社
旧居留地の西北の境界である旧西国街道に面している。
史跡神戸事件発生地の碑が建っている。神戸事件は、慶応4年1月11日(1868年2月4日)に神戸(現・神戸市)三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。明治政府初の外交問題となった。神戸港開港早々に起きた事件で伊藤博文らが交渉し解決した。伊藤博文は兵庫県初代知事となった。

出発前の全体説明

三宮神社前で説明を受ける

三宮神社

② 鯉川筋の街路樹はブラジル国花イぺの木
旧居留地の西北の境界である旧西国街道に面している。
旧移住センターが鯉川筋の山手にあり、現「海外移住と文化の交流センター」から メリケンパークまで、神戸から旅立っていかれた移民の皆さんが歩いた。この道路の街路樹にブラジル国花イぺの木が植えられている。サクラのように春になると枯れ木に可憐な黄色の花が咲く。今は実をつけている。因みに居留地の西端の鯉川筋はかつて鯉川という川であったが、現在は暗渠化されている。

鯉川筋に植えられたイペの木

木には実を落としたサヤが残る

イペの種

③ 戦没した船と海員の資料館
入口に「海に墓標を 海員不戦の誓い」のプレートが掲げられている。戦時中に軍艦ではない軍から徴用された民間の商船、漁船が米軍に爆撃され、沈没により民間人の船員が約60,000人余り、民間人、軍人、捕虜の合計で23万1600名が亡くなった。戦争が終わったとき政府は戦没した民間船舶は7,240隻と発表した。その船が戦没した場所と船の写真、絵画が展示されている。武器を持たぬ船が、為すすべもなく沈没していった。学童疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷で撃沈され、学童1,400人以上が亡くなった。沈没時の米軍撮影の貴重な写真もある。終戦近くの大阪湾は多数の機雷で出港も出来ない状態でも資源運搬のため無理して出港し爆沈し、うまく出港できても爆撃で沈没させられたという。それでも軍関係者の一部は戦争継続を画策していたという。大阪湾では現在も自衛隊が機雷掃海の任務にあたっているという。この無謀な戦争とは何だったのかを改めて考えさせられた。

戦没した船と海員の資料館

戦時中に船舶と船員に施行された法令

熱心に説明に耳を傾ける

戦時標準船の模型

戦時標準船とは

手書きの遭難報告

  徴用船と共に藻屑に夏の潮   二三弥  



④ 神戸海洋博物館・カワサキワールド
船の仕組みやクルーズ客船の魅力。神戸港の施設や役割などについての展示コーナーがあり、航海計器の実物、ジオラマ模型、映像、グラフィックなどで分かりやすく紹介されている。
カワサキワールドは神戸の地で生まれ、1世紀以上の歴史を持つ川崎重工グループの企業博物館となっている。陸・海・空に展開されるテクノロジーの歴史・現在、そして未来を「見て」「触れて」楽しく体験出来た。
2階には天然の良港といわれ、瀬戸内海の要衝として栄えた神戸港の歴史が展示されている。移り変わる神戸の「港」と「街」の様子を船具などの実物をはじめ、ジオラマ模型、グラフィックなどで紹介している。

昼食・休憩はメリケンパークの木陰でお弁当を、あるいはポートタワーの食堂で中突堤のNAKA-BCバースに停泊中の豪華客船「飛鳥-Ⅱ」を眺めながら昼食をとる人とさまざまに過ごした。お薦めのメリケン食堂が人数に対応できず、調理に時間がかかり昼食予定時間が30分遅れた。やはり屋外活動は弁当持参が間違いないと痛感した。

神戸海洋博物館・カワサキワールド

カワサキと言えばバイク

フライトシミュレーター


神戸海洋博物館・カワサキワールド前にて

⑤ 居留地散策
神戸郵船ビル、商船三井ビル、海岸ビル、神港ビル(川崎汽船)、旧居留地15番館(2代目旧アメリカ総領事館)、旧居留地煉瓦造下水道遺構、神戸市立博物館(旧横浜正金銀行)等の居留地文化の雰囲気を漂わせる建物の外観鑑賞。
震災で戦前の多くの建物が倒壊したが、文化的に価値ある建物は復元され、あるいは外壁のみ修復保存されている。震災以後街並み保存の機運が高まり、建築協定により今では最も神戸らしい街並みとして評価されている。そのなかで震災前年に耐震補強が実施されて倒壊を免れた神戸郵船ビルが印象的だ。震災以後新築、復元された建物はそれぞれ耐震化、免震構造などで対策している。また海岸ビル外壁に残された終戦前の米軍の戦闘機による機銃掃射の弾痕跡があらためて戦争を思い起こさせた。

神戸郵船ビル

商船三井ビル

旧居留地煉瓦造下水道遺構

  炎昼や居留地の名残十五番館   二三弥  



⑥ 日本銀行神戸支店
日本銀行の役割や業務について理解できた。 我々の生活とどのように関わっているのかを知ることが出来た。
店内見学では、「展示ルーム」と、阪神・淡路大震災当時の様子や、その後の災害対策などを紹介した「にちぎんと災害対応ルーム」を見学した。災害時に金融面で混乱が起こらないよう対策されている。また偽札の見分け方、1億円の重さを体験できた。

日本銀行神戸支店

展示ルームでの説明

これぞ1億円

⑦ 神戸市役所24階展望台(居留地の東端境界)
ボランティアガイドの藤井さんから、展望台から見える眼下の旧居留地について説明してもらった。居留地の外国人が文化的、経済活動に日本人に多大の影響を与えた話もあった。神戸港と居留地が神戸の都市文化と環境に多大な影響を及ぼしたことが実感できた一日となった。日暮れには早かったが、夕陽の美しさと六甲山、港の夜景の美しさが想像できた。

神戸市庁舎から芝生広場を望む

神戸市庁舎から飛鳥Ⅱを望む

神戸市庁舎から布引ハーブ園を望む

 かつて世界でも有数の港湾であったが、震災以後神戸港の貨物取扱量は国内でも低位に甘んじている。経済繁栄だけが目標ではないが更なる復興を期待したい。「神戸港開港150年」を機に再び「ガンバレ神戸」のスローガンが思い出された。
 今でも多国籍の外国人が居住し、山手の北野には多彩な宗教寺院が共存し、神戸は各国の文化を尊重し、偏見のない世界でも類のない平和な都市を実現している。
 この美しい街並みと居住している人々が、戦禍から、自然災害からも永久に守られる ことを祈念したい。