UP 2018.10.17 kita
大河原から笠置コースハイキング(東海道自然歩道)

行程

大河原駅・・・恋志谷神社・・・布目川・甌穴群・・・JR笠置駅
(希望者のみ)・・・笠置寺・・・笠置寺行場巡り・・・JR笠置駅


昨日の天気予報どおり、朝はかなり冷え込んだ。空はやや曇っているが、久々のハイキングのためか、みなさんの顔がすがすがしく見える。JRの遅れのため集合時間も少々遅れて、大河原駅を出発した。しばらくすると、恋路橋という名の沈下橋(増水時は水面下に下がってしまう橋)を渡って恋志谷神社に着いた。


恋路橋

恋志谷神社

恋志谷神社本殿
ここは、後醍醐天皇に想いを寄せながらも成就しなかった姫を哀れんで祀ったのが始まりと伝えられる。
子授け、婦人病のほか、縁結びの御利益もあるとして、京都縁結びのパワースポットといわれているらしい。
以前は古森とよばれた地に祀られていたが、江戸の末期に天満宮社に合祀された。



これより集落を抜けて、東海自然歩道を木津川とともに笠置に向かう。 笠置までの道はほぼ平坦で、ゆっくりと景色を楽しみながら歩けて楽しい。


アキチョウジ

セイタカアワダチソウ

カラスウリ

ハナワラビ

←このあたりは花崗岩地帯で木津川の両岸は白く、 美しいが、風化による砂の流入が多く、
下流の方で天井川となり洪水をひきおこすそうだ。
道のほとりに十一面観音磨崖仏。右手に錫杖を持っているところから長谷形十一面観音 (観音さんと地蔵さんの合体相)と呼ばれる。道中を守ってくれるのか、優しげなお姿。→  


イワタバコ

ゲンノショウコ

マタタビ

マムシグサ

←関西電力相楽発電所。落差3.3mの超低落差の水力発電所。手前に堰堤があり奥に閘門、魚道、流筏路がある。 こちらは木津川辺り地蔵石仏。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。村はずれのお地蔵さんとして、塞の神的役割も(侵入を防ぐ)あったらしい。→  

      木津川橋梁は明治時代に造られ、大正末期から昭和初期に補強、 架け替えを行った歴史的な橋梁。橋脚は明治時代のレンガと石造り。

カマドウマ発見!  


タケシマラン

チャノキ

マユミ

ミゾソバ

布目川の甌穴群に到着し、川の流れを聞きながら、お昼ご飯。
甌穴は川底のくぼみに渦巻き流が生じ、中に落ち込んだ小石が回転しながら深く削ってできたもの。 このあたりの川底は固い花崗岩で、甌穴ができるのに数十万年から数百万年かかるらしい。
     
     


オトコエシ

ヤブタバコ

ゴンズイ

ヨシノアザミにカマキリ

関西電力布目川発電所の横を抜け、ようやく笠置に到着。


関西本線の際を一列で

対岸に廃墟となった笠置観光ホテル

笠置大橋が見えた所でゴール

空がだんだん晴れてきて、気持ちのいい、ハイキング日和の一日となりました。笠置駅近くで解散となりました。

一旦解散ののち、希望者9名は、笠置山の笠置寺まで登り、行場巡りをしました。


笠置寺山門(笠置寺Wikipediaより)

木津川をのぞむ

笠置山寺全景

「笠置は奈良時代、木津川上流から伐りだした材木を木津まで筏流しする途中の津としての役割を担い、古代、中世を通して東大寺領の笠置庄として繁栄。奈良時代中期のものと推定される笠置寺の本尊である弥勒大磨崖仏や虚空蔵の磨崖仏などは平安時代の末法思想に伴う弥勒信仰の隆盛により鎌倉時代まで、天皇、公家をはじめとする「笠置詣で」が全盛をきわめた。修験場としても多くの修験者が訪れたが、後醍醐天皇が笠置山を要塞として行在所を置いたことによって、鎌倉幕府との攻防戦の舞台となり、全山焼失し衰退した。」(笠置山旅情百科より抜粋)

古くから信仰の対象で修行場だった笠置山上の巨石群をめぐりました。
←高さ12m幅7m線彫りの虚空蔵石。
奈良時代に彫られた時のままの姿。

人手で軽くゆり動かせる、ゆるぎ石
集合写真の後ろは、この寺の本尊だが元弘の変(1331)で 戦火に会い、光背の形だけが残る弥勒大磨崖仏。
高さ15.7m、幅12.7m

この後、笠置山を下り、駅前で1時間に1本の電車を待つ間、のどをうるおし、帰路につきました。