UP 2019.2.20 Utm
「JT生命誌研究館」と「高槻市立しろあと歴史館」


行程
10:20~11:50 JT生命誌研究館でスタッフによる展示ガイド
11:50~13:30 移動・昼食を済ませて阪急高槻駅に集合
13:30~13:40 移動
13:40~15:40 高槻市立しろあと歴史館でボランティアガイドによる展示品の説明と高槻城址
            めぐり

1.JT生命誌研究館

JTが100%出資するこの施設は、生命誌の研究とその成果を展示して一般人に理解を得ようとする特異な施設です。2班に分かれて、それぞれにスタッフについていただき展示品の説明を受けました。 生命を形づくる細胞の構造、その変化の状態が「見える化」されており、それなりに理解できたようです。またガンとは細胞がどのようになることなのか、興味が沸くところでした。自然と環境科では数年前にも見学しましたが、展示内容がずいぶん変わっており、数年後にも訪れる価値はあるようです。


生命誌絵巻  多様な生き物が長い時間の中で誕生した歴史と関係を表現
(生命誌研究館ホームページより)
 
生命誌絵巻の説明を受ける DNAの説明を受ける
   38億年の生命誌の階段 チョウとさなぎの説明を聞く


2.高槻市立しろあと歴史館

高槻城址の一角にある「しろあと歴史館」でも、ボランティアガイドのもと2班に分かれて館内見学。高槻城の模型や、藩主として8代・200年以上続いた永井家の遺品や、藩士であった幕末の国学者・藤井竹外の遺品を見た後、館外に出て高槻城址をたどりました。廃藩置県により廃城となり、明治7年のJR線敷設工事のため城のすべての石垣が持ち出され、お堀も完全に埋め立てられたために建物は何もない状態でがっかりでしたが、ガイドさんの懇切丁寧な説明と城址の地図にもとづいて、わずかな土地の起伏から当時の地形を頭に描きながら想像を膨らませていくという作業は結構楽しめました。

ただ、この地域は第二次世界大戦中に陸軍工兵隊練兵場として使用され、その遺構がちらほら見受けられました。現在その跡地は中学校や高等学校になっていますが、市の運動場だった広大な土地に市民会館を移設するため大規模な発掘調査が始まっています。その結果が楽しみです。

初代藩主の永井直清公の神社が能見神社の中にあり小ぶりながら立派なものでした。カトリック高槻教会には戦国時代のキリシタン大名として有名な高山右近の石碑があります。高山右近は天正元年(1573年)から19年間高槻城主を務めましたが、豊臣秀吉のバテレン追放令や徳川幕府のキリスト教禁教令によりマニラに流され当地で病死という数奇な運命を辿ったことでも有名です。20年余り前に、近くでキリシタンの墓地が発見され、10数体の木棺に収められた遺体が掘り出されたことがメディアで大きく報じられました。



 
高槻市立しろあと歴史館 高槻市域の説明を聞く
石垣造りの説明を聞く 高槻城址の説明を聞く
今の町並みと高槻城
(高槻市ホームページ「インターネット歴史館」より)
   
1班のメンバー 2班のメンバー