UP 2019.10.20 Utm
世界文化遺産 古市古墳群を歩く


  
行 程 約7km
①土師ノ里駅 ②鍋塚古墳 ③仲姫命陵古墳 ④古室山古墳 ⑤赤面山古墳 ⑥大鳥塚古墳 ⑦応神天皇陵古墳 ⑧誉田八幡宮 ⑨向墓山古墳 ⑩墓山古墳 ⑪野中古墳 ⑫仁賢天皇陵古墳  ⑬峯ヶ塚古墳 ⑭白鳥陵古墳 ⑮古市駅


 少し蒸し暑い曇天の中、1グループ11名で2グループに分かれ、10時、土師ノ里駅をスタートした。当初、1グループに1名のボランティアガイドが付くと聞いていたが、新人養成も含めて、1グループ3名のガイドが付いて案内してくれた。
 最初に、土師ノ里駅前にある鍋塚古墳へ登り、古市古墳群の概要説明を受けた。
 古市古墳群は、藤井寺市から羽曳野市にまたがる約4㎞四方の地域に、4世紀から6世紀にかけて、巨大前方後円墳や方墳、円墳などの多くの古墳が造られた。現存する45基の古墳の内26基が世界文化遺産に登録された。
 今日は、古市古墳群の主な古墳12基を見て歩く。

② 鍋塚古墳は、現状は、一辺63m前後の方墳。 二段に築かれ、高さ7m。埋葬施設は不明。形象埴輪が採集されている。仲姫命陵古墳の堤に食い込む位置にあり、同時期に築造されたと推定されること、出土した埴輪は4世紀後半を示していることなどから仲姫命陵古墳の陪冢(ばいちょう)と考えられている。
②鍋塚古墳(なべづかこふん)

③ 仲姫命陵古墳は、墳丘長290m、前方部幅193m、3段築成。古市古墳群では二番目の大きさの巨大前方後円墳(我が国9番目の大きさ)。周濠は幅が狭く深い空堀。くびれ部には四角い台形状の造り出しがあり、築造当時の姿を残している。堤を歩くと濠や墳丘の様子、堤の広さが実感できる。
 未発掘のため、内部構造の詳細は不明。前方部前面側堤部に径30cmの円筒埴輪列が確認され、これらから4世紀後半築造とされている。
③仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)と説明文

 古室山古墳は、墳丘長150m、前方部幅100m、3段築成の前方後円墳。古市古墳群の中では、皇陵関係以外としては、最大級の大きさで、墳上に登ることができる。生駒、葛城山系、大阪阿倍野あたりまで眺望できる。季節によって梅や桜が楽しめ、市民の憩いの場となっている。4世紀後半築造とされている。
④古室山古墳(こむろやまこふん)

⑥ 大鳥塚古墳は、墳丘長110m、前方部幅50mの前方後円墳。後円部3段・前方部2段で築成され、後円部が前方部より6m高い。5世紀前半の特徴的な前方後円墳の姿がよくわかる古墳。
⑥ 大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)

⑦ 応神天皇陵古墳は、墳丘長425m、後円部の径250m、前方部幅300m、高さ36m、総全長650mを超える巨大古墳で、墳丘長は仁徳天皇陵古墳に次いで日本第2位、体積は日本1位の規模。3段に築成されるとともに二重濠が廻り、斜面は葺石が施されている。埴輪には黒斑がなく5世紀前半の築造と推定されている。前方部は、1510年の河内大地震により崩落しているが、それ以外は、築造当時の姿が保たれている。


⑦ 応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)とその外堤

⑧ 誉田八幡宮の集会所で昼食を取ることになった。
時間がなかったので、食事をしながら、宮司さんから誉田八幡宮の縁起について説明を受けた。
縁起は、「欽明天皇の勅命によって応神天皇陵の前に社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請した」とされている。鎌倉時代以降には、将軍家や武士の信仰を集めた。
食事の後、宝物館を拝観した。宝物館には、源頼朝寄進の国宝「塵地螺鈿金銅荘神輿」、丸山古墳出土の国宝「金銅製龍文透彫鞍金具」などが展示されている。

⑧ 誉田八幡宮 (こんだはちまんぐう)

⑨ 向墓山古墳は、応神天皇陵に号陪冢。一辺68mの方墳。堤の西縁は墓山古墳の外堤を結ぶ「土橋」が設けられており、墓山古墳との密接な関係が考えられている。展示室では、めずらしい埴輪などが展示されている。

⑨ 向墓山古墳(むこうはかやまこふん) 羽曳野市文化財展示室

⑩ 墓山古墳は、古市古墳群5番目の大きさ。
3段に築成された墳丘長225mの前方後円墳。5世紀前半の築造で、後円部頂に格子目を刻んだ竜山石製の石棺の蓋石が露出していた。
周辺には、4基の方墳の陪冢が存在し、この古墳は大王クラスの古墳と考えられている。
⑩ 墓山古墳(はかやまこふん)

⑫ 仁賢天皇陵古墳は、前方部が後円部より大きく、6世紀前半に築造された古市古墳群の後期の典型的な前方後円墳。天皇の名が億計尊(おけのみこと)であったことから、なまって通称「ボケ山古墳」とも呼ばれている。
⑫仁賢天皇陵古墳(にんけんてんのうりょうこふん)

⑭ 白鳥陵古墳(はくちょうりょうこふん)

⑭ 白鳥陵古墳は後円部より前方部が高く、広いという古市古墳群後期の特徴的な墳形で濠は満々と水をたくわえており、竹内街道からは優美な墳丘を眺めることができる。
日本武尊に纏わる白鳥伝説(尊が伊勢の能褒野で病死し、白鳥となって琴弾原を経由して古市邑に留まった後、天高く飛び立った)があるが、考古学上の築造年代は100年以上新しく、史実と合わない。
竹内街道


 台風19号の影響で雨を心配していたが、少し蒸し暑かったものの、雨にも降られず、22名が無事に古市駅に到着した。お疲れ様でした。
15時、古市駅で解散。

古市古墳群ウオーキングコース