UP 2020.10.22 Utm
中国街道ウォークと鳴尾村義民跡を訪ねて



行程

阪神武庫川駅出発10:00→楠霊神社→潮止堰→西素戔嗚神社→雉が坂伝説の地(大庄村)→小松の渡し(西新田の渡し)→岡太(おた)神社 →鳴尾一本松→鳴尾武庫川女子大学前駅11:30<付近で昼食休憩>12:30再出発→鳴尾八幡神社→浄願寺→四軒茶屋跡→北郷公園→ 北郷用水樋→枝川の渡し(六石の渡し)→阪神甲子園駅→阪神甲子園球場→素戔嗚神社15:00解散

 爽やかな秋晴の下、武庫川河川敷に降りる。まずは武庫川駅を振り返り、駅ホームが武庫川全体に造られ、西側(西宮市)と東側(尼崎市)の出口は武庫川の両端になっていることを確認する。川にはカワウの姿が見られた。そこから、中国街道と歴史に思いを馳せ、花島さんのガイドの話を聞きながら歩く。楠霊神社は楠木を御神体として祀り今日一日の旅の無事を祈願する。本能寺の変を知り備中から急ぎ引き返す秀吉一行が、この辺りで雉が飛び立つ姿を見えたため、明智光秀の待ち伏せに気づき、回り道をして難を逃れたという「雉が坂の伝説の地」を教えてもらった。鳴尾八幡神社の境内は広く、ホテイアオイの花が咲いていた。歩く道すがら、キンモクセイの香りを楽しみながら歩くことができた。
<歴史の街道の一つの逸話>鳴尾の一本松は、昔は目印として、いろんなところから見つけることができたという。今では5代目の松となり、隣には高層マンションに囲まれ、松の存在も、隠れてしまっていた。風も心地よく、影を探しながら歩く。街中であり、左側通行で歩き、後ろから自転車!車!と声かけながら歩く。
昼食は早めに摂り午後に備えた。
午後からは「鳴尾村義民跡」を訪ねる。
天正19年(西暦1591年)枝川が干上がり旱魃に困った鳴尾村の村人は、互林村へ水を分けてと頼むが断られ、苦肉の策として、枝川の下に穴を掘って樽を並べ、新川に繋げ水を盗んだという。そのことがばれて、豊臣政権の下、樽の数だけ村人を処刑するとのことから、命と引き換えに水を選んだ25人の村人が犠牲になったといわれ、今も「義民碑」として、語り継がれている。
甲子園駅の近くに枝川の堰の後を見たり、渡し跡を確認した。
八幡神社や素戔嗚神社など人々と信仰の関わりや、身近な街中にも歴史があり、人々の生活の足跡を歩きながら感じることができた。

出発ミーティング 武庫川の堰 楠霊神社
岡太神社 静止像=獅子=イノシシの狛犬 (岡太神社)  鳴尾の1本松
晴天の下散策 ホテイアオイ きんもくせい 公園「義民碑」
北郷用水樋 甲子園球場近くの 素戔嗚神社を終点!