観察会記録(2017年 1月度)

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多田銀銅山史跡を訪ねる里山ハイキング

観察日:平成29年1月6日(金) 時間:6時間  天候:晴れ

コース:日生中央駅→静恩館→多田銀銅山悠久の館→青木間歩→道の駅いながわ→東光寺→紫合バス停
   →日生中央駅

参加者:19名

コースとタイム:10:20能勢電鉄日生中央駅→10:30 彫刻の道→10:55 静恩館→11:40 素戔嗚神社
          →12:05 多田銀銅山悠久の館(昼食・見学)→13:25 青木間歩→(歴史街道)→14:20 道の駅いながわ
          →14:40 東光寺→15:50 紫合(ゆうだ)バス停→16:10 日生中央駅にて解散
 
「観察会概要」

 新年最初の例会は兵庫県猪名川町の彫刻の道・歴史街道をハイクしながら、多田銀銅山跡他の地域の文化・歴史施設を訪ねる観察会を実施した。
 日生中央駅をスタートし、住宅街を通り抜けるとルート内に百数十体の石の彫刻が設置されている彫刻の道にでた。石像は古いもののようで、道標の代わりとなっているものもあった。
のどかな田園や里山の風景を見ながら彫刻の道を暫く歩くと猪名川町役場に到着した。
猪名川町の町章。
イとナと川をデザインしたものです。
 本日見学する最初の施設である国登録有形文化財の「静恩館」が町役場横にありました。
 この「静恩館」は地元出身の美術商で財をなした富田熊作氏が外国人を接待する目的で、当時の金額で約10 万円(現在では100 億円?)を投じ、3 年の歳月をかけ建てられたとのことです。表門・母屋・茶室他合計で18 の構築物が文化財として登録された.
 かなり豪華なつくりで、床下暖房・水洗式のトイレや氷室(冷蔵庫がわり)など当時としては珍しいものもあり、又庭園も立派なものでした。これらガイドさんが詳しく説明され興味深く聞き、見学することができた。
「静恩館」をあとにし、猪名川町内に整備された歴史街道 (といっても舗装道路です)を町内に二つある素戔嗚神社を見学せず通過し、 35分ほど歩き、「多田銀銅山悠久の館」に到着した。この裏庭で昼食を摂った後、ガイドさんに多田銀銅山の歴史・地質と鉱床・採掘方法・精錬法など展示物を見ながら詳細な説明を受けた。
歴史・・・奈良時代には採掘されており、奈良の大仏鋳造に献上されたとの伝承がある。 豊臣秀吉により開発が進み、江戸時代は直轄管理、明治には三菱が経営 、昭和 48年に不採算が理由で閉山となった。
地質と鉱床・・多田銀銅山は猪名川町 、川西市、宝塚市、池田市、箕面市、能勢町、豊能町一帯に広がる鉱床群の総称で 、以前に妙見山を訪れたが、その地区でも沢山の鉱山跡があった。およそ 7千年前の大規模な火山活動で鉱床がつくられ、長い年月をかけて、地表近くに表出してきたものです。 当地区では約 600 の坑道があるらしい。

採掘方法・・・地表に現れている鉱脈を掘る露頭堀 (溝堀 ・竪穴掘)から始まり、鉱脈を追って地中に掘り下げるヒ追掘 (ひおい )、地中の鉱脈を水平に掘り進む坑道掘が行われるようになった。当地区ではこの 3つの採鉱法が確認できるとのこと。

精錬方法・・・採掘→選鉱→精錬→銀の抽出の作業工程がある。その精錬は@ノ焼 (硫黄分を減らす)A鉛吹 (鉛を生産 )B素吹 (硫黄と分離されていな銅を取り出す )C真吹 (荒銅を生産 )D合せ吹 (銀と銅を結合させる )E南蛮吹 (銀を含んだ鉛と銅を取り出す )F灰吹 (鉛から銀を抽出する )の工程がある。当地区では古くから南蛮吹が取り入れられ、ここから生野銀山など各地の鉱山に伝えられたとのこと。
話し好きのガイドさんを振り切り、 悠久の館をあとにし、再び歴史街道を歩く。
明治時代に建設された堀家精錬所跡の上に残っている6基のレンガ構築物、銀山代官所の門を見学、金山彦神社は拝観せず、通り過ぎ青木間歩まで歩いた。
約 600 の坑道がある内 1つのみ坑内にある青木間歩に到着、早速坑内に入 り見学した。周囲に薬用植物のアオキが繁茂していたことからその名がついたとの説もある。手掘りのみによる旧坑と機械を使用した新坑とが見られる。 上へ延びる坑道も見られ、昔の人は凄いと痛感した。
又水抜き通風穴跡もみることがでました。当地区では他に大露頭や台所間歩・瓢箪間歩と名付けられた坑道もあるが、これはパスし次に向かった。
多田銀銅山史跡をはずれ、道の駅いながわへの道は峠越えの山道である。
素晴らしい天気の中、峠からは山並みが眺望でき、気持ち良く歩ことができた。 40分程度で道の駅いながわに到着した。
道の駅いながわにてトイレ休憩後、途中猪名川渓谷自然公園の清流に高さ30m 、幅 100m に及ぶ岸壁が、屏風のようにそそり立ち、見事な景観を作り出していることから、名づけれた屏風岩を遠くに見ながら更に歩いた。
本日最後の訪問先の東光寺につきました。
当寺は奈良時代に行基が開基した寺で、行基作といわれる薬師如来を安置して いる 。 境内に入り先ず目につくのが、生木に彫られた立木子安観音です。 これはこの寺を訪れた木喰上人が一夜にして樫の巨木に彫りつけたといわれてます。この上人の木喰仏が 13 体残されています。ここでも話 し好きな住職が木喰上人に関し、詳しく説明していただいた。
 木食行とは五穀を断ち、木の実や芽のみを食べて暮らす修行の一つで高野山の中興の祖と言われる木食応其、円空仏を残 した円空 、木喰仏を残した木喰上人が有名です。木喰上人の本名は伊藤と云い、生涯で木食行道、五行菩薩、明満仙人と改名している。野性的な円空仏に比べ、微笑みを浮かた温和なものが多く、全国に多くの遺品が残っており、特に佐渡島にまとまって残っており、現在も見ることができるとのことです 。東光寺前バス停で乗車する予定で したが、バス時刻まで時間があったので、紫合バス停まで歩き、バスにて日生中央駅に行き、日生中央駅にて解散した。
後記・・ 1月にもかかわらず本日は天気が良く、暖かく穏やな一 日で少し汗ばむほどで、絶好の観察会でした。又本日ガイドして貰った方にわかりやすく、詳細な説明をして頂き良い勉強ができた。ガイドを手配して頂ました I さんに感謝です。やはりただ見学するのみでなくガイドして頂くと興味深くなります。佐渡島にも観察会に行きたいとの声がありました。