観察会記録(2020年11月度)
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大阪府:剣尾山ハイキング

観察会 : 2020(令和2年)年11月27日(金)   時間 : 7時間

天 候 : 晴

コース : 登山口→行者山→六地蔵→剣尾山→横尾山→登山口

コース・タイム
     : 9:05能勢電鉄山下駅バス乗車→9:30山辺口バス停→10:25剣尾山登山口→10:42毛抜き岩→
       10:52本堂→11:07行者山山頂→11:57六地蔵→12:10剣尾山山頂(昼食)→12:40山頂出発→
       13:20横尾山山頂→13:45トンビカラの岩峰→14:35登山口→15:20山辺口バス停→山下駅下車

参加者 : 13名
「観察会概要」

 能勢電鉄山下駅に集合後、バスで山辺口バス停に移動。ここから本日の観察会をスタートした。土日であれば登山口のある行者口行のバスがあるが平日はなく、国道173 号に沿って、右手に古来能勢富士と呼ばれた城山(山頂に山城があった)の山容を見ながら、登山口まで2q以上を歩いた。
登山口近くにトイレがあり、ここでトイレ休憩。剣尾山へは行者山を経由して登る。登山口にはその行者山の史跡と由来が書かれた案内板がある。巨岩が多くあり、これを行場として利用、古くから行者山と呼ばれた。役行者が行場を開き、その後理源大師、宝雲上人が復興・整備され、摂津大峰と呼ばれるほど賑わったとのこと。
登山口からしばらく階段道を登ると行場最初の「毛抜き岩(頭をまるめ身を清めるという)」に到着。岩のさきを行くと更に巨岩があり、「アリの戸渡り」、「胎内くぐり」、「西の覗き」などの行場となるが、今日はこのルートには寄らずに本道をいくことにし、本道に戻った。
大日如来坐像が刻まれた「大日岩」を過ぎ、「本堂」と「ミロク岩」に到着。「本堂」は宝雲上人が建て、役行者の金銅仏を奉安、昭和10年に現在地に移された 。傍にあるミロク岩のひさし下には弥勒菩薩が祀られていた。更に登り 、中興の祖の理源大師が上部に自ら像を刻んだ岩、見晴らしがよく、眼下の集落も良く見渡せる東覗きを過ぎ、行者山山頂 (469m)に到着した。
行者山から剣尾山山頂までの登山道は道が広く、視界も開け、歩き易い。天気も良く、景色と途中炭焼窯跡なども見ながらゆっくりと50分ほど歩き六地蔵に着いた。この道はおおさか環状自然歩道というらしい。 (能勢町から泉南市の府民の森まで続くとのこと)
六地蔵から剣尾山山頂までの間にはかって「月峯寺」があったが、今は麓の大里村に移されている。しかし旧寺の礎石や石垣が残り、梵字が刻まれた石や井戸跡も見られる道を歩き、12時10分に剣尾山山頂 (784m)に到着した。
山頂は展望も良好で、北西は丹波の山並みが見渡せ、東は京都市内の山々も部分的に見え、南は大阪湾が遠くに見える。愛宕山も見ることができた。ここで昼食を摂り、12時40分に横尾山に向け、出発した。
横尾山へは少しアップダウンをしながらの尾根道です。以前に植林し、プラスチックの保護筒を取り付けられていたが、そのまま放置されているらしく、木の成長によりはち切れているものが多数みられた。
剣尾山を出発後、40分ほど歩くと横尾山山頂(785m)に着いた。振り返ると剣尾山、横尾山山頂からは、るり渓などの景色が見える。尚、途中の木々の葉は殆ど落葉していた。
横尾山からの山頂近くは急坂の下山道となり、注意が必要でした。又行者山から剣尾山山頂までの道とは異なり、岩場の下山路であり、少し荒れてもいて歩き難い 。トンビカラ岩峰 (鉄塔 )にて休憩した後、沢がに広場を経由し、登山口に帰ってきた。ここでトイレ休憩。
トイレ休憩後、山辺口バス停に向かった。朝は国道173号線沿いに歩いたが、帰りは少しショートカットと思われる手前の道を山辺神社前を通り、途中から国道に合流し15時20分頃にバス停に到着した。
バスの発車時刻は15時14分で間に合わず、 1時間後のバスを覚悟していたが、バスが遅延していた為、我々がバス停に到着後、直ぐにきたバスに乗車することができたのは本当ラッキーでした。

本日の観察会は紅葉が少し残っているか期待していたが、山の上は全て落葉していたのが残念でした。しかし天気、景色も良く、気持ち良く、楽しく歩くことができた観察会だった。

右は本日歩いた足跡図です。歩行距離 12.6kmでした。

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